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とらのあな

伝説の舞台へ 1(前編)

序章

皆さんこんにちは。

ブログライターの景虎(部外者)です。

※部外者=ゴルフ部以外の者

今回のフィールドは紫塚ゴルフ倶楽部です。

まずは、紫塚の由来となった民話をご紹介しましょう。

むかーし昔の、その昔
大田原城のお殿様に仕えていた
紫姫という美しい娘が居ったそうじゃ

紫姫は・・・

 

《中略》

 

身投げした紫姫を憐れむ村の人々が
小さな塚を築いて弔ったそうじゃ。

そして、紫姫が眠るこの塚を
「紫塚」と呼ぶようになったとさ。

おしまい。

坊や~良い子だねんねしな~♪

これが紫塚の由来となった民話です。

昔話によくある、涙を誘う悲劇的な結末になっています。

詳細が気になる方は各自お調べください。

たぶん史実じゃなくて民話だと思いますけどね。

昔話には強引に悲劇に仕立てる不自然なものもありますから、

この話だって元々はハッピーエンドだったのかもしれません。

そもそも口伝なんて伝言ゲームみたいなものです。

意図せず話の内容が変わってしまうこともあったでしょう。

むしろ、長い歴史の中では、

積極的に改変をもくろむ人も居たかもしれません。

それはさておき、

先ほどの民話には実は続きがあります。

 

■その昔、

アメリカで活躍した

ミッチェル・パリッシュ(Mitchell Parish)

という詩人が居りました。

数々のジャズの名曲の作詞をした著名な方です。

 

■彼は幼い頃、

生まれ故郷のリトアニアから

家族と共にイギリス客船SSドレスデン号に乗船し、

アメリカに向かいました。

帝政ロシアによるリトアニアへの迫害から逃れる為です。

今から100年以上昔、

明治33年頃(1900年)のことでした。

 

■長い船旅の中で、

彼の両親は同船していた日本人と知り合い、

意気投合して、お互いの文化について語り合いました。

その中で、ある興味深い日本の民話を聞きました。

それが先ほどの紫姫のお話

The tumulus in purple(紫に染まる塚)です。

彼らは、その不思議な物語に魅せられ、

自分たちの知らない遠い国の文化に思いを馳せたのです。

 

■ところで、

明治時代に英国客船に乗っている日本人が居たのかと

疑問に思われる方も居るかもしれませんが、

この頃は、パリ万博が何度も開催されており、

1867年(慶応3年)の第二回開催時には、

既に幕府が公式参加しています。

明治時代になると、ヨーロッパ在住の日本人も

珍しい存在ではなくなりました。

森鴎外・正岡子規・夏目漱石なども

同じような時期にヨーロッパを訪れており、

この船にも乗ったことがあるようです。

 

■話を戻しますが、

この民話を気に入ったミッチェルの両親は、

幼かったミッチェルに繰り返し語りました。

ミッチェルもその話を聞き、

遠い遠い日本の国のイメージを

自分の心の中に描いていきました。

東洋の幻想的な紫の世界・・・

そのイマジネーションの中から、

1963年(昭和38年)

ニノ・テンポ&エイプリル・スティーヴンス

(Nino Tempo & April Stevens)が歌った名曲

「夢のディープ・パープル」の詩が生まれたのです。

In the still of the night
Once again I hold you tight
Though you’re gone
Your love lives on when moonlight beams

静寂に包まれた夜
あなたをもう一度強く抱きしめる
あなたはもういないけれど
その愛は月明かりの中に生き続けるのさ

And as long as my heart will beat
Sweet lovers we’ll always meet
Here in my deep purple dreams

この胸の鼓動が続く限り
二人はいつでも会える
この深い紫の夢の中で

一部引用 和訳 景虎

 

■さらに話は続きます。

60~70年代に活躍したイギリスのハードロックバンド

ディープパープル(Deep Purple)

このネーミングは、バンドのギタリスト

リッチーブラックモアの祖母のお気に入りの曲であった

「夢のディープパープル」に由来します。

つまり、紫姫の民話が

世界的なロックバンドの名前の由来となっていたのです。

ちょっと驚きですよね。

 

■でも、この話はイギリスでは結構知られた話です。

ブリティッシュロック発祥の地であるイギリスは、

ご存知のようにゴルフ発祥の地でもあります。

ちなみに、聖地スコットランドだけでなく

イングランドにも歴史あるコースが存在します。

現地ではロック好きのゴルファーは当たり前の存在で、

一般的にも、この一連の話は知られています。

そのため、紫塚に対して、憧れと同時に親近感を抱いている

英国人ゴルファーは少なくありません。

 

■そして、なんと

この紫にまつわるストーリーは、

再び日本に戻ってくるのです。

沖縄のハードロックバンド「紫」は、

ディープパープルから影響を受け、

「紫」というバンド名となりました。

まさに、世界は一つに繋がっているんですね。

時空を超えて巡る言霊「ムラサキ」にロマンを感じます。

そんな壮大な物語を背景に持つ「紫塚」の名を冠したゴルフ場で

みゆスタカップゴルフ虎の穴を開催することになりました。

・・・・・

はい、民話はここでおしまい。

少々話が長すぎましたが、お楽しみいただけたでしょうか。

それでは当日の様子をリポートしていきましょう!


いざ、伝説の舞台へ

フォントが独特。

はい、そんなわけで

やってまいりました紫塚へ。

しかし毎回朝が早いんですよね~。。。

部外者の私からすると、

夕方からプレイした方が良いような気がするんです。

涼しいし。

それに、ボールを光らせれば探す手間も減って、

ゲームの進行も早まると思うんですよね。

だってみんなボール探してる時間が一番長いでしょ?

まぁいいや。

グリーン到着っ!

開始まで2時間もあるってのに・・・
ゴル吉三平に改名してしまおう。
こっちはゆりっぺ、じゃなくてゴルっぺ。

何故にそこまで夢中になれるのか?

まぁ楽しいんだろうなー。

でも全く羨ましくないwww

部外者で良かったぜ。


朝のミーティング開始

みゆスタの紫姫から訓示。

武士道精神に則り、正々堂々と闘うべし!

ではなく、

楽しんでくださいね♪

怪我しないでくださいね♪

みたいな令和式かと思われます。

いざ出陣!

まぁそんな感じで、ゆる~くスタートします。


英国風!?

ゴルフでは毎回のように意外な驚きがありますが、

今回もかなりの衝撃を受けました。

なんと!

ここのカートは!

ブリティッシュグリーンのボディに!

コノリーレザーのシート!

これは・・・

JAGURじゃねーか!!!

うわ・・ジャギュワーかよ・・

これは昔のみゆスタイベント「ジャガーで巡る真夏の那須ツアー」という、冷や汗で全身が涼しくなる納涼企画の写真。
う~ん・・・見事なブリティッシュグリーン。

カートはYAMAHAじゃなかったのか???

あ、

YAMAHAだったwww(知ってた)

シートもビニールだったwww(知ってた)

タイヤはタイヤは??

イェ~い♪

いつものHOLE’N ONE!(知ってた)

本当のホールインワンを見られるのはいつのことやら。。。


記念撮影

これが一番重要な行事です。

プレイよりも撮影。

撮影はすべてに優先する。

人間として当然の事です。

さぁみなさんもご一緒に、

大きな声でご唱和ください。

せーのっ!

人生此即撮影也!!!!
(じんせいこれすなわちさつえいなり)

はい、ありがとうございました。

全員の目線が来るのは奇蹟です。
別のカメラでも。
キャディーさんにお声掛けいただいたのでお願いしました。

はい、撮影終わり。

それでは早速コースインしましょう。


陰謀渦巻く世界

さて、

今日の様子はどんな感じ?

最初は氏家コースだそうです。

なるほどね。

良い組み合わせだ。

そして肝心なルールは、

NP旗とは?

新ぺリア!

いや~素晴らしい響き♪

「シンペリア」

どことなく「ファンタラマ」に通ずるものがあるな。

シンペリア♪
シンペリア♪
みんなのシンペリア~♪

栃木県民限定ネタかな?・・・あ~昭和に帰りたい。。。

「みゆスタカップ・ぺリアとらのあな」に改名しようかな。

いや実は私、景虎は、徹底した観察から、

新ぺリアの勝ち方の法則を発見してしまったのだ。

親切な私は、その重要なヒントを包み隠さず

皆さんに伝えようと思う。

『みんなよく聞いてくれ!

これはゴルフではなくぺリアなんだ!』

そして、もう一つ気付いたが、

みゆスタゴルフ部のメンバーの中に

新ぺリアの勝ち方を知っている強者が1人だけ居る。

その人物は私が導き出した理想的なぺリアの勝ち方に

極めて近い様相のスコアを示したのだ。

まさに私の法則に合致した打ち方・・・

もしかすると、全てのルールを新ぺリアで統一しようと目論む

親ぺリア派の組織から送り込まれた人物なのかもしれない。

であれば、私にとっては好都合だ。

私も同じ親ぺリア派。

既に、あるプレイヤーにその極意を伝授し、

親ぺリア工作員として活動できるよう、

その戦略を徹底的に叩き込んである。

みゆスタゴルフ部・親ぺリア派第1工作員。

しかし残念ながら、彼は未だ結果を残せていない。

繰り返しの指導が成果に反映されないのは、

言ったとおりに打てないから。

そう思っていました、

これを書いている今の今までは!

いや、

やっぱおかしいだろ?

もしかしたら、

彼は反ぺリア派から送り込まれた工作員で、

指導に対し従順を装いながらも、

秘密裏に反ぺリア工作をしていたのではないか?

つまり、打てないのではなく、打たないのだ。

考えてみると、不審な点が思い当たる。

彼は頻繁にシミュレーションゴルフに通っている。

それだけ通い詰めていて下手なはずがない。

実は凄腕のシングルプレイヤーなのではないか?

まぁいい。

少し様子を見て、諜報部員からの報告を待つことにしよう。

よしっ、もたもたしてたら日が暮れてしまう。

気合入れてスタートだ♪

 

 

 

 

 

樹齢180年!?

う~ん・・・

何かを書かずにはいられない(笑

これじゃ全くプレイをスタートできない。

いやーどうなってるんだろう。

ネタが多すぎて記事が進まねーわwww

というわけで、

伝説の舞台 2(後編) へ続く